平清盛 平忠正 [平清盛感想]
平清盛 平忠正について大河ドラマ平清盛での描写と疑問点、史実に基づく関係性などをまとめます。
大河ドラマの平清盛のように実際も平清盛と平忠正は仲が悪かったのか?
保元の乱で平清盛と平忠正の陣営が別になり戦ったのはなぜか?
大河ドラマの平清盛では仲が悪いというか平氏の血でなく軽率な行動をとる平清盛を嫌っている平忠正ですが、清盛の子が不安がっている時に
「左様なことは断じてない。誰も好き好んで血の繋がりのあるなしでは争わぬ。つまらぬことは考えず、生まれてくる子をうんと可愛がってやれ。」と言いましたよね。これは、清盛のことを血のつながりがないからといって好き好んで文句を言っているわけではない。という気持ちにもくみとれますし、自分に言い聞かせている様にも思えます。
この描写は保元の乱で深みを持たせるための複線ですよね。ただ仲が悪いからといって敵になって戦うのではないというのを視聴者にも伝えようとしていますよね。
実際には二人は仲が悪かったのか?平忠正は平清盛と仲が悪かったというだけでなく、兄の平忠盛とも仲が悪かったという話もありますが、信憑性はどうでしょうか。
大河ドラマの平清盛では、兄の平忠盛を支え平氏一門のことを考えるからこそ平清盛をうとみ、次の棟梁にすべきではないと言っていましたが、実際には、そんなことを言える立場ではなかったことがわかっています。
兄の忠盛は父から受け継いだ財産もありながら、要職を歴任し財をもっていたが、忠正は崇徳天皇の御監という役職につき、『長秋記』によると鳥羽上皇により職からはずされ、その後は官職につくことなく藤原頼長の車を郎党を率いて警護するという私兵のような立場であったそうです。
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